メルマガ購読・解除
本サイトのメルマガ(無料。携帯アドレスもOK)

チャンスが味方するもの


蘭子
 


チャンスは準備された心に味方する

by ルイ・パスツール(細菌学者)



最近になって、ようやくこの言葉の意味が身をもって理解できるようになってきました。

以前は、
「チャンスの女神に後ろ髪はない・・・」
の言葉のごとく、「チャンス」はそれとは分からない状態で目の前に現れるので、見逃さないようにしなければならない!!
というようなニュアンスで受け止めていました。

そういう側面があるものの、もっと他の意味合いがあることに気付いたのです。

当たり前のことですが、それは、
「毎日鍛錬を怠らない」
ということ。

野球でもホームランを打とうと思ったら、毎日のように素振りをして鍛錬しなければなりません。
いきなりホームランを打とうと思っても、まぐれ当たり以外にその可能性は皆無です。

人生においてもそれは同じ。

何か成し遂げたいものがあれば、それを毎日毎日鍛錬する以外にないのです。

そしてある日「チャンス」という名の、自分が一歩飛躍できる瞬間が訪れます。

そういった下積みや日々の鍛錬があることを知らずに、人は誰かがチャンスを手に入れると妬んだりするものですが、それはお門違いというもの。
毎日鍛錬した人にしかチャンスは味方してくれない事実を知り、自分の至らなさを反省するぐらいがちょうどよいと思わずにはおれません。

・・・と偉そうなことを書いていますが、
「毎日鍛錬を怠らない」ことがチャンスにつながる、と実感できたのには理由があります。

前回、「100日間続けると、人生が変わる?」という記事を書きました。
何か成し遂げたいものを100日間間断なく続けていくと、それが習慣になり、人生が変わるという内容です。
また他の理由として、脳の細胞が約3ヶ月間で入れ替わり、3ヵ月後にはその状態に細胞が入れ替わっているので、人生も変わるというようにも考えられるという内容。

本当にそのようになるのか、自分も試してみようと思い、とあること100日間続けてみようと現在実験中です。
今のところ30日間ほどですが、自分に変化が現れました。

何と言いますか、「続けることの意味」を体感できるようになってきたのです。
昨日より今日、今日より明日と、少しずつですが、自分が向上していっていることが分かります。

また「続けている」ことで、不思議と僅かながらの自信が芽生えてきて、「もしかしたらもっと自分は成長できるかもしれない」
という明るい未来をも持てるようになってきました。

まだ私は100日間には到達していませんが、そのような土台が少しずつ準備されて、チャンスが来たときに受け止められる自分になれるのだと思うのです。

正に「継続は力なり」で、
準備なくして物事が成しえることはないと感じた次第です。

だまされたと思って、一度100日間の準備をすることをオススメします。





2012 5, 15
[ 学校では教えてくれない講義, 物事の本質・原理 ] コメントはありません

100日間続けると、人生が変わる?


蘭子
 


とある記事で、

何かを100日間続けてると、人生が変わる

という(ようなニュアンス)の言葉を目にしました。
これは、的を得ているなぁと思います。
なぜなら、100日も続けていると、習慣になるから。

習慣を変えると、なぜ人生が変わるのか、今回はそれをじっくり述べたいのではないので、割愛したいと思います。
詳しく知りたい方はコチラをどうぞ
↓↓
習慣を変えると、なぜ人生が変わるかを、自分なりに考察してみた

実を言うと、「習慣になるから、人生が変わる」とい以外の理由を、偶然にも主人から聞きました。

それは



脳の細胞が3ヶ月で入れ替わるから

だそうです。

主人は専門家ではないので、どこまで根拠のある話かわかりませんが、
人間の細胞は2~3ヶ月で入れ替わるという話を聞いたこともあるので、あながち的外れな内容でもないと思います。

100日間(約3ヶ月)つづけてしたことは、3ヵ月後にはその状態に細胞が入れ替わっているので、人生も変わるというようにも考えられます。

今日は4月26日。
もうすぐ、ゴールデンウィークです。
人生を変えたいと思っている人には、何かを100日間続けるためのスタートとして、よいかもしれません。





2012 4, 26
[ 学校では教えてくれない講義, 役に立つ話/感動する話 ] →コメントを見る

耳馴れた言葉


蘭子
 





日々の生活の中で、何気なくいつも使っている耳馴れた言葉をみなさんお持ちだと思います。

耳に馴れた言葉は、あまりにも当たり前につかっているため、深くその意味を考えていないことに、ある本を読んで気付かされました。

↓↓↓

お互いに常に耳馴れている言葉というものは、実に曲者であって、耳馴れた言葉が、常に新鮮な響きをもってわが心に響くということは、よほど優れた人で、常に進んで急(や)まない人でなければ、容易に至り得ない境涯と言ってもよいでしょう。

ですからわれわれの多くは、このような境涯に至り得ないで、単に耳馴れ聞き古したこととして、深くは心にもとめないのが、常だと言えましょう。
したがって、そこに新たなる響きを聞き、その深さに驚くことを忘れがちであります。

by 森信三 (『修身教授録 (致知選書)』 P35より)

例えば

「ありがとう」

という言葉。
漢字では「有難う」

「有る」ことが「難しい」と書いて「有難う」

そこに有ること自体が、本当は難しい
でも存在してくれている、とても感謝すべきことの対象として「有難う」

そんな意味があるなぁ・・・と、このブログを書きながら思い浮かべていました。

一つ一つの耳馴れた言葉を吟味していくと、そこには深い意味があるのに、何気なく使ってしまう毎日。

いつもは無理かもしれないけど、時には感動をもってその言葉を使いたいと思ったのでした。

そうすることで、きっと人生も豊かになるに違いない、そんな気がします。





2012 4, 24
[ 学校では教えてくれない講義, 物事の本質・原理 ] コメントはありません